生きるのがつらい毎日に、心が安心して帰る場所を   

福岡 心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー) 前田 ひとみ

NOを言えない。。。

こんにちは。

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

早速ですが、今日は「NOを言えない」というテーマで書いていきます。

 

 

 

ここ半年ほどで、新幹線に乗る機会が格段に増えたわたし。

 

 

 

新幹線も、人それぞれの日常やドラマが詰まっていて、なかなかおもしろい空間です。

 

 

 

 

先日も乗車した新幹線の後ろの席の方で、お酒を飲んでそのまま寝てしまった乗客がいたんですよ。

 

 

 

 

何を思ったのか、飲みかけのビールを席の下の床に置いて寝てしまい、新幹線の揺れで缶が倒れ、ビールが徐々に床に広がっていきました。

 

 

 

 

なぁーーーーにぃーーーーーー!?

やっちまったな!!!!!

という懐かしいコント話ではなく。。。(古)

 

 

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その前の席に座っていたサラリーマン風の方はカバンを床に置いていたようで、足元のカバンが濡れたことで、ビールが流れてきたことに気がついたようです。

 

 

 

すぐさま後ろを振り返りますが、当の本人は寝ています。。。

 

 

 

しきりにカバンを気にしているところに、乗務員さんが通りかかります。

 

 

 

さあ、ビールがこぼれていることや、カバンが濡れたこと、助けを求めるチャンスです!!!

 

 

 

ん。。。。。。

 

 

 

あれ!?

 

 

 

 

その方、乗務員さんに何も声は掛けませんでした。。。。。

 

 

 

ただただ、カバンを見つめ、困った顔でため息をついています。。。

 

 

それはもう、気づいてほしいオーラ全開です!

 

 

でも、自分からは結局何も言いませんでした。。。

 

 

 

 

最終的には乗務員さんが気がついて床を拭いて、そのビールをこぼした乗客を起こし注意していましたが。。。

 

 

 

こういう時、みなさんが前の席の当事者だったらどうしますか?

 

 

 

良い悪いや、過失で言うならビールを床に置いて寝てしまった方かもしれません。

 

 

 

しかし、明らかに困っているのはビールが足元まで来て、カバンも濡れてしまった前の席の人です。

 

 

 

床にビールがこぼれている!

それが、自分のやったことでも自分が悪いわけでもないとしても、助けを求めるのはやはり「困っている方から」なんですよね。

 

 

 

自分に起こった出来事に対して、ガマンしてイヤを握りしめていてもカバンはキレイにはなりません。

 

 

 

特に自分に非がないと思う時は、自分からどうして動かなければいけないのか、という気にもなってしまいますが、それでも自分から動かない限り相手を責め続け、誰かの助けを待つだけになってしまいます。

 

 

 

 

前の席に座っていた人ですが、乗務員さんに大丈夫ですか?と尋ねられた時に、「いえいえ、自分がこんなところにカバンを置いていたのが悪いんで。。。」「なんか、すいません。。。」と謝っていたんです。

 

 

 

 

そして、たまたま通りかかった無関係のマダムが見かねたのか、ひとしきり乗務員さんに「カバンの保障はないの?」みたいなことを言い、責任を問うたりもしておりました。

 

 

 

 

この2人のような、

自分が悪くないような時にも自分を責める。

自分のことでもないのに黙っていられない。

そんなことはないですか???

そんな自分自身ではなく人の感情のケアをしていることはないですか???

 

 

 

 

  • 自分にどうにもできないし、自分に責任がないことにまでも自分のせいに感じる。
  • 相手の責任で行うことなのに、そこに口を出さずにいられない。

 

 

これって、自分と相手の間に境界線がないことで起こります。

 

 

 

この境界線が曖昧だと、NOが言えないんです。

 

 

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相手に境界線を越えられたり、相手の境界線を越えたりすると、相手に対してNOが言えなくなるんです。

 

 

 

NOを言ってしまうと、

 

  • 相手に嫌われる。
  • 自分だけ仲間外れにされる。
  • 役立たずになる。
  • 攻撃されて怒られる。
  • 自分の立場を失う。

 

こんな気がして言えません。。。

 

 

 

 でもね。。。

相手が自分についてどう思い、どう感じるのかに責任は持てないんです。

 

 

 

 

それは、相手が決めることだからです。

 

 

 

境界線がないと、こぼされたビールでカバンが汚れても何も言えなかったり、何も言えない人の代わりに自分が言おうとしたりして、自分にはどうしようもない相手の反応にも自分が責任を感じて背負おうとしてしまします。

 

 

 

自分の荷物でないものを、ずっと背負いながら生きていく。

 

 

 

それで頑張れたり、パワーが出たりすることもあります。

 

 

 

短期間の話なら、その荷物は自分にとってよい負荷になるかもしれません。

 

 

 

しかしそれがずっと続くとなると、それは段々と重荷になっていきます。

 

 

重荷を背負い続けながら生き続ける。

 

 

それだと、生きるのがつらくなります。

 

 

だからこそ、境界線は必要です。

 

 

境界線は、何を受け入れて、何を拒否するのかを自分が決めることです。

 

 

 

自分が何を好きで、何が嫌いなのかを知ることです。

 

 

 

境界線を育てていくことが、NOを言うチカラも育てていきます。

 

 

 

それは自分が何を求めていて、何を望まないのかを自分ではっきりと知り、周りに伝えられることでもあります。

 

 

 

そうすることで先ほどの新幹線の2人のような

 

主張できない自分が悪いという罪悪感

できないことを自分がやってあげなければいけない義務感

 

を持たなくていいようになります。

 

 

 

自分の領域に責任を持つ

相手の領域は相手に任せる

 

ということができるようになります。

 

 

 

境界線が持てない、ということは

子どもの時に自分の領域を守られずに尊重されていなかったということでもあります。

 

 

 

親の責任を持つこと、心のお世話をすることで自分を守ってきたのかもしれません。

 

 

 

大人になり境界を持つということは、その親の責任を親へと戻し、自分の人生を自分で歩いていく宣言をするということです。

 

 

 

その決意をして、自分に境界を育てていこうと決める。

 

 

 

怖いですよね。。。

 

 

 

今までの自分と変わってしまうし、自分がまるで悪いことをしているかのような気持ちにもなるかもしれません。

 

 

 

それほど今まで、自分と相手の間に境界がなかったこと、NOを言うことが怖かったことに気がつけるといいですね。

 

 

 

 

長くなったので、次回にどうやって境界を育てていくかについて書いていきます。

 

 

 

 

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taiyotoniji.hatenablog.com

 

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