生きるのがつらい毎日に、心が安心して帰る場所を   

福岡 心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー) 前田 ひとみ

生きるのがつらいのは、子どもの時に深く刻みつけた想い達がそのままだから。

こんにちは。

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

 

 

クリスマスも終わり、いよいよ年末年始の時期になりましたね。

急に世間が慌ただしくなったように感じますね。

学校や仕事などの長期休暇もあり、何だか家族というものをいつもより深く感じる時期な気がしませんか?

 

 

 

 

わたしは昔はこの時期が苦手でした。。。

長期の休みに家になんて居たくないけど、この時期は友人達は当たり前に家族と過ごすんです。

自分は家族と居るのが苦痛なのに、周りの友達は笑顔で楽しく過ごしている姿を見てモヤモヤとしておりました。

家族と居る、それがとても辛かったんですね。

そんな昔のほろ苦さを思い出し、お茶を飲み飲み、人生とお茶の渋みを味わいながらの本日のブログです。

 

 

 

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さて、今日は、

「生きるのがつらいのは、子どもの時に深く刻みつけた想い達がそのままだから」というテーマで書きます。

 

 

 

 

愛着という言葉を聞いたことがありますか?

最近では、愛着障害という言葉も耳にすることが増えてきましたね。

そもそも、愛着とは何か。。。

 

 

 

 

愛着とは「人と人との絆を結ぶ能力で、将来の人間関係の土台となる」と言われています。

そして、これは特別に選ばれた人との間に1歳半から2歳くらいまでに形成されると言われています。

 

 

 

 

え?人格の土台が2歳までに決まるの?早くね?

そんで、その歳をもうとっくに過ぎちゃってますけどー?

 

 

 

 

はい、ごもっともです。

そんな記憶がないような子ども時代でその後の人間関係が決まっちゃうの?

納得いかないなぁなんて思いながらも、人と関わる時にこんな気持ちを感じることはありませんか?

 

 

 

◦自分はここにいなくてもいいと思っていて、人を信用できない。

 

◦いつも安心感がなく、すぐに傷ついたり、諦めたりする。

 

◦相手の顔色が気になり、いい人で居たくて、相手と深い関係になれない。

 

◦いつもひとりで居たり、逆に誰かと一緒でないと不安になる。

 

◦消えたくなったり、死にたくなったりする。

 

◦もう我慢の限界となると、キレて今までの人間関係を破壊する。

 

 

 

 

 

 

このような人間関係での悩みは、実は記憶にはっきりと残っているかどうかも分からないような時期からの想いかもしれない、と思うと、どう感じますか?

 

 

 

 

分かりやすく、わたしの1歳までを見てみます。

 

 

いでやこの世に生まれては、の0歳。お母さんのお腹から大冒険をして生まれてきて、ようやくお母さんに会える!と心を躍らせていたであろう赤ちゃんのわたし。

 

 

ですが、生まれてすぐに母が後産からの治療に専念しなければいけなくなり、入院します。

お母さんにだっこしてもらうこともなく、おっぱいをもらうこともなく、姿や声に触れることもなく1年間ほど母方の祖父母のもとで暮らします。

 

 

 

言葉こそ出ませんが、赤ちゃんがお母さんを求めるのは当然です。

「お母さん、どこ?」

「お母さん、こわいよ、だっこして!」

「お母さん、お母さん、おかあさーーーーーん!!!」

 

 

 

しかし、お母さんを求めても求めても何も返ってこない。

お母さんが居ない。。。

これは、子どもにとって死に匹敵する恐怖です。

 

 

 

自分という存在は愛されていない。。。

捨てられたんだ。。。

わたしは必要ないんだ。。。

その想いを深く深く刻みつけていきます。

 

 

 

それでも、祖父母も必死に育ててくれましたので、大きな病気もすることなく、1年後に治療を終えた母と、父のもとに帰ります。

この話はまだ続きます。。。

 

が、今日お伝えしたい大切なことは、赤ちゃんの時に母親と離れてしまったから自分の心が安定しないんだ、ということではありません。

 

その後、どのように過ごしたとしても子どものわたしの「恐怖」や「怒り」や「悲しみ」や「ぬくもりや愛を求める気持ち」が置いてけぼりになったままだということです。

 

 

深く刻まれた想い達は、受け止めてもらうことなくずっと残り続けます。

 

 

おかあさん、こわいよぅ!(恐怖)

 

おかあさん、たすけて!(恐怖)

 

おかあさん、どうしてそばにいてくれないの!(怒り)

 

おかあさん、だっこして!(ぬくもりを求める気持ち)

 

おかあさん、いっぱいあいして!(愛を求める気持ち)

 

 

はっきりと存在するこの想い達は、その想いが届くまで求め続けます。

しかし、求め続けてもいつまで経ってもその想いが叶わないことを感じると、これ以上傷ついてしまわないように、求めることをやめます。。。

 

 

 

それでも受け止めてもらえなかった気持ちは、何度もその存在を知らせようとします。

ここにいるよ、傷ついてるよ、悲しいよ、怖かったよ、寂しかったよ。。。と。

 

 

 

 

しかし、その言葉にできなかった想い達の存在を認めることは、またあの死ぬかもしれない恐怖を味わうことになるので、「もう2度とあんな思いはしたくない!!!」と必死で自分のことをを守ろうとするチカラが働き、止めようとします。

 

 

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1歳のわたしは、誰にも愛着を持たないことを決めたんです。

 

また傷つかないように人と心地よくつながることを求める気持ちを消すことを決めたんです。

 

そのためには、自分の気持ちを否定したり、人を信用しなかったり、人と深くつきあわなかったり、誰かに依存したり、キレて人を遠ざけたりしながら自分を守って生きていかないといけない。

 

でも、本当はそのような生き方をしたいワケではないので、生きるのがつらくなります。

 

 

 

これが、「愛着は自分の意識をしないところで自分の心理と行動を支配する」ということです。

それはもう、生きるために。

 

 

 

 

子どもの頃に刻んだわたしの想い達が自分を守るためにしていることが、反対に自分を傷つけてしまっているんですね。

でも、その時はそのやり方しか知らない。

だから、生きるのがつらい。

 

 

 

 

わたしのようなケースでないにしても、

小さな頃の自分の気持ち、置いてけぼりのままにしていませんか?

生きるのがつらいという想いを刻んだままにしていませんか?

このつらいままでこれからの人生も生きていく、それを本当に自分は望んでいるでしょうか?

 

 

 

つらいのは、あの時のあの気持ちがそのままだから。。。

刻みつけてしまった、子どもの自分の気持ちが置いてけぼりのままだから。。。

 

 

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1歳のわたしが、母と離れたその時に、わたしの心に何を刻んだのか

 

 

 

過ぎてしまった過去に原因と責任を求めるのではなく、自分の心に刻んだ想いと、その自分の守り方(本当は自分を傷つけているのですが。。。)をしっかりを見ていくことで安心して人とつながる感覚を築きなおすことができます。

 

 

 

 

どうして自分が生きるのがつらいのか。

子どもの自分が何を決めて、それをどう心に深く刻んだのか。

そこを丁寧に見ていくことで、愛着は築きなおすことができますよ。

 

そして、それはいつからでも、何歳からでも可能です!!!

 

 

 

わたしも、自分の子ども時代に刻みつけたこの想い達とじっくり向き合うことで、人と関わりたい気持ちや、安心する感覚、人を求める感情などが自分の中から湧いてくるようになり、今ではどの時期も安心して過ごすことができるようになったんです。

 

 

 

 

 

子どもの自分が、心に深く刻みつけた想いや、そこから生まれる行動。

それは、大切な人達に向けた大きな大きな愛だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

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