生きるのがつらい毎日に、心が安心して帰る場所を   

福岡 心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー) 前田 ひとみ

求めよ!されど何も与えられん。。。

こんにちは。福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

お天気がころころと変わりますね。

そして、朝は凍えるのに、お昼ごろには汗ばんだり。。。

なかなか服装選びも難しいですね。

太陽が出てくると、体感温度が上がるのが分かります。

やっぱり、おひさまのチカラは偉大だーと思いますね(*´▽`*)

そんな、おひさまのパワーに誘われてか、チューリップを買いました。

元気にすくすく育ってほしいと思ってはいるんですが、

伸びるは伸びる。。。茎だけ伸びる。。。

びろーーーーーーんと伸びる。。。

おかしいな。。。

そんなにデレデレしながら暮らしてないのにな、なんて思いながら

春を待ち望んでいます。

デレデレさんとチューリップは、ハナの下がびろーんと伸びるのであります(^◇^)

さて、今日は「求めよ!されど何も与えられん。。。」です。

アナタハカミヲシンジマスカ?のお話ではないですよ(*'ω'*)

求める。

アナタにとって、求める、とはどういうことでしょうか?

虹と太陽1

求めるということ。

欲求を出すということ。

自分の求めに従って自分から動くということ。

それは、愛着を求めるということです。

アナタは、愛着を求めていますか?

それとも諦めていますか?

人は愛着によって、特定の他者を求め、身体的、心理的安心を確保することができると言われています。

この愛着を築き損ねたらどうなるのかを以前のブログにも書きましたが、

今回は築き損ねていく過程について書いていきます。

先日テレビで、働くお母さんと赤ちゃんと一緒に出勤し、職場全体で赤ちゃんを見る企業の

取り組みの様子が流れていました。

赤ちゃんが泣いた時、お母さんが手が離せない時は、フロアの人全体でその赤ちゃんを

あやしたりしていました。

赤ちゃんが、たくさんの人に抱っこされたり、声をかけてもらったり、愛を注いでもらう、

という姿は素敵だなぁと思いながら見ていました。

ところが、その赤ちゃんのお兄ちゃんが小学校で熱を出し、お母さんは赤ちゃんを職場に置いて

小学校へお迎えに行ったんですね。

赤ちゃんは、お母さんの姿が見えなくなったので、当然大泣きしました。

その間も、赤ちゃんが泣くと、フロアの人達があやしたりしていました。

初めは、お母さんじゃないので抱っこされても、赤ちゃんも激しく泣いていました。

そして、その泣いている間も、周りでは仕事の電話や対応は続いています。

たまに、誰も手が空かないこともあるでしょう。

そうすると、赤ちゃんはお母さんがいない間ずっと泣き続けると思いますか?

わたしに当てはめてみると、母親と離れて暮らすことになり、最初は泣いて泣いて

抵抗します。

ミルクをあげようと思っても、断固拒否!!!

そのうち、食欲も落ちてくる。

何にも興味を示さなくなっていきます。

これは、この先、この子は身体的な危機が迫ってくると思いませんか?

それが!です。

しばらくすると、抱っこされていなくても赤ちゃんは泣き止むんです。

わたしでいうと、ミルクも飲むようになるんです。

一見すると、環境に慣れたようにも思えます。

周りも、最初はどうなることかと思ったけどようやく慣れた、と安心したりします。

この状況について、愛着理論を発展させたボルヴィによると、

母親から引き離された子は、最初泣き叫んで抗議し、やがて絶望して無反応になり、

ひきこもりの状態になる。さらにその分離が続くと脱愛着に至る、と述べています。

テレビの赤ちゃんは、抗議し無反応になりかけている状態ですね。

(誤解のないように言いますと、この場合、この一時に置いて、です。

この無反応になりかけた時にお母さんに会えるので、このお母さんがいない

2時間ほどの時間において、です。)

わたしは、ひきこもりの状態から、ミルクを飲むまでになっていますから、

これは回復でしょうか?

それが。。。違うんです。。。

わたしのこの、他の養育者の世話を受け入れた状態こそが、脱愛着の状態です。

なんでそんな怪奇現象が?

シンジラレナーイ!!

え?これ、アンビリバボー???

はい、違います!!!!!

わたしが自分を封印し、何事もなかったように生活を送るのはなぜか?

それは、「生きるため」です。

母親をずっと求め、母親が居なければミルクを飲まず、他の誰からの世話も

受けないとなると、自分の生存に関わります。

生きるために、母親への愛着を切り捨てたんですね。

安心とぬくもりの感覚から世の中を受け入れたのではなく、絶望と死の恐怖から

世の中を受け入れたんです。

人生とは、いつ何時、何が起きるか分からないから安心してはいけない

思うんですね。

安心感を求めることを拒否することで生きてこられたんですね。

これを信じて生きていくと。。。

あたり前田のパラッパー(違)で、人間関係全てでつまづきまくって、転びまくる

ことになります。

人との関係で安心を求めないんだから、当然ケガしまくりです。。。

まさに、「求めよ。。。まあ、そんなことしてもムダだから、諦めるけどねー。何も与えてなんて

もらえないし。そんなの求めてないし。」となります。

さて、アナタはどうですか?

アナタは、愛着を求めると、どうなると感じていますか?

考え事をする子ザル

求めても、求めても何も返ってこない。

それが続くくらいなら、求めることを諦めてしまいます。

最初から、求めることを放棄してしまえばいい。

期待しなければ、求めなければ、傷つくことはない。

何かが起こった時に、誰も守ってくれる人はいない。

自分のことは自分で守らないといけない。

そのためには、つながりや愛を求めていたら生きていけないんだと

信じてしまう。

アナタはそんな感覚を感じることはないですか?

求めることをしなければ、関係が終わることもない。

だから、わたしは自分の愛もずっと軽く見せてきました。

求めるなんて重いだけだと思っていました。

脱愛着の人にとって、求めることや、欲求を感じることそのものが、何よりの恐怖だからです。

なので、これでは生きるのがつらくなります。

しかしながら、です。

切り捨てなければいけないということは、その前には持っていたということ。

求めないと決めたということは、その前には求めていたということ。

切り捨てる、求めないと決める、それは何より求めていた証なんですね。

だから、思い出したらいいんです!

自分全体で思い出したらいいんです!!

身体も感覚もすべて使って思い出したら。。。。。

はい!!

いいんです!!!

つながりたかったその気持ち、

愛を返して欲しかったその気持ち、

安心したかったその気持ち、

思い出して表現することです。

愛着は執着ではありません。

終着でもありません。

もらえなかった愛を握りしめるのでなく、求めることを切り捨ててきた自分の愛し方を

手放す勇気を持つこと。

自分が、何を求めているのかを知ること。

その感覚を思い出すこと。

そして、そこが終わり

ではなく、そこから始まります。

「求めない自分」の終わりは、「安心感を持つ自分」の始まりです。

安心感こそ、アナタの帰る場所になります。

ハートと虹

人を切り捨てて守って安心するのではなく、人を求めて、愛して安心する。

リトリーブサイコセラピーを学び、セッションを受け、セラピストへと向かった今、

感じること。

わたしの愛は重いのでなく、深くて強いだけ。

そう思います。

求めることは、終わりを告げるのでなく、始まりを伝えてくれますよ。

求めよう!!!すれば、諦められん!!!

諦めなくても、安心することはできます。

諦めず、帰る場所を育てていきましょう(*´▽`*)

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