生きるのがつらい毎日に、心が安心して帰る場所を   

福岡 心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー) 前田 ひとみ

何たる失態であることか!!!~自分のカラに閉じこもる心理~

こんにちは。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

寒いですね(>_<)!

冷えますね(>_<)!!

凍えますね(>_<)!!!

寒いぜ、福岡!!!!であります。。。

スズメ

注:心がこんな感じなだけで、実際の光景とは異なります。

そんな冷え冷えの季節は、甘いものを食べたくなりますよね。

先日の友チョコイベントで、チョコレートを頂きました。

普段、自分では買わないことが多いので、カカオ配合何パーセント!とかいうお品物を

あまり食べたことがなく。。。

カカオの配合が多い方が苦いそうな。。。くらいに思っていました。

チョコ達は、43%とか56%とか70%とか、色々な種類がありまして、数字が高い方が

苦いから、苦い方から順番に食べて、甘みを味わってみよう!と思ったんです。

結果。。。

70%が1番おいしく感じました!

おお!!!

これは、わたしも大人の味というものが分かってきたではないか!と思い、

自慢したんですが、それは老化だと笑われ。。。

友チョコから、ちょこっと共に老化!の世界へと誘われたのでした。。。

でも、苦みを知ると、味覚も人生も深く味わえるようになるのは素晴らしいことだと思います。

↑え?強がりですか(^◇^)?

さて、今日は「何たる失態であることか!!!~自分のカラに閉じこもる心理~」について書いていきます。

今日は、知的な面を前面にゴリ押ししながら書いてみます('ω')ノ

小説いってみよう!!!

みなさんご存知でしょうか?

山椒魚は悲しんだ。

から始まる井伏鱒二の「山椒魚」。

教科書で読んだ、という方もおられると思います。

岩屋から出ようとすると自分の成長により頭がつかえて出られなくなった山椒魚

「何たる失策であることか!!!」

初めは現状から抜け出す、と決意をするのですが、うまくいかないと分かると

一転して周囲をバカにしたりします。

岩屋の外で動き回っているカエルに最初は感動しますが、

それも目を背けます。

ある日、岩屋に入り込んだカエルを外に出れなくします。

カエルを閉じ込め愉快でしたが、2年の月日を共にした後、もう空腹で動けなく

なっているカエルに、山椒魚は今何を思っているのかを尋ね、今も怒っていないと

カエルは答えて終わる。。。

という、作者が伝えようとしていることは何か。が試験に出題されるあるあるのあのお話です。

わたしは、

「何たる失策であることか」に山椒魚の思いが詰まっているように思えてならないんですね。

失策だったと当の本人も気が付いているんです。

失策だったということは、

自分が思っているようにならなかった。

期待していたようにならなかった。

つまり、失敗した。

ということです。

あなたは失敗した時、どんな感情を感じますか?

うなだれるネコ

山椒魚は、抜け出すと決めても実際に何の行動も起こしません。

助けを求めることをしないんです。

今の状況を嘆き、孤独に震えながら、じっと耐えている。

失敗を受け入れられず、周りに助けを求めることもせず、これで全て終わり。。。と思っている。

この感覚、社会や世界での、自分自身の存在の不安とも言えます。

この感覚、あなたにはないですか?

自分は助けてもらえない。

自分は受け入れられていない。

自分は、居てもいなくても変わらない。

失敗してしまうと、この感覚を味わってしまう。

味わってしまう自分にこそ耐えられないから、懸命に失敗を否定する。

失敗を認められない、助けを求められないというのは、自分が

「世界は自分を傷つけるもの」と思っているからなんです。

自分の外の世界は、全部敵だと思っているんです。

だから、世界の全員が自分の味方でない限り、世界へと出ていかないんです。

心理的なひきこもりのような状態です。

わたしも、もれなく、何たる失策であることか!の山椒魚タイプでした。

自分にないものを嘆き、相手が同じ状況で分かりあえることを望み、出来るなら、

同じ境遇の人だけと関わって生きていけたらどれほどいいだろう。。。

と部屋の片隅で膝を抱え込んで動かない。。。

しかし、現実はそうはいきません。

色々な状況の人と、色々な境遇で関わっていく。

悲しみをガマンし、苦しみと戦わないと世界と関われない。

失敗するだなんで、そんな失態を見せられない。

守られず、責められる感覚から逃れるために、

何たる失態であることか!!!と自分のカラに閉じこもる

穴の中のカエル

これでは、生きていくのがつらくなります。

よく言われますが、子どもが成長する過程と、心理セラピーで

人が回復していく過程は同じ。

人は、ゆだね、取り入れ、与え、競争し、それから落ち着く、と言われています。

生まれてからの1年間で全面的に依存し、ゆだねることを体感します。

そうすると、次に周りのものを取り入れることができるようになります。

この時に取り入れたものが、自分にとって心地いいか、心地よくないか、

望んでも拒否され叶わなかったか。

ここで大きくこの後の自分自身の存在の感じ方が変わってきます。

世界が敵か味方か、という極端な考え方になるにのは、

この時期の成長過程でつまづいた、と言えます。

極端な白か黒か、の反応は、いい事でも悪いことでも

全部を取り入れるか、全部を拒否するかのどちらかになってしまうから起こります。

では、もうその時期を過ぎているから手遅れなのか、取り入れをさせてくれなかった

犯人を探せばいいのが。。。

いいえ、違います!!!

自分から、世界は全てが敵ではないことを体感する場所を求めたらいいんです!

川にさす光

山椒魚とカエルは、最初はお互いに相手の非ばかりを責めあっていました。

自分の非を認めたくなかったからでしょう。

それが段々と月日が経っていくうちに相手の存在があることで自分というものを見つめます。

そして、最後の何を思っているか、今も怒っていない、の会話になるんですね。

世界は全てが敵ではないことを体感するんですね。

自分のした失敗を受け入れるんです。

それは、相手という世界の存在があってこそ。

失敗を認めなければ、否定され、評価され、無価値な自分を感じなくて済みます。

でも、これではずっと孤独のまま。。。

これこそ、何たる失態であることか!!!となります。

受け入れることが難しいことでも、ゆだねられる人の助けがあれば

受け入れることができます。

受け入れたものを味わうことができると、部分的な取り入れ、部分的な拒否ができるようになるんです。

失敗しても、努力は受け入れ、無価値感は拒否できるようになります。

カラに閉じこもった人だからできることがあるんです。

それは、自分のカラを破ること。

破るカラがあるからこそ、できることがあるんです!

自分ひとりでは難しいことだとしても、周りのチカラを取り入れて味わっていくと、

自分でこもったカラを破ることができますよ。

興味を持ったり、フォローしてもらえると最高です(*´▽`*)

小躍りしながら、大人の苦みを噛みしめながら喜びます♪

Facebookページ

https://www.facebook.com./taiyotoniji

Twitter

tttps://twitter.com/taiyotoniji