生きるのがつらい毎日に、心が安心して帰る場所を   

福岡 心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー) 前田 ひとみ

お盆に思うこと 〜お盆に心が揺れるなら〜

こんにちは。

 

 

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

 

お盆ですね。

 

 

お盆になると、実家に帰る、夫や自分の実家へ帰る、それ自体が憂鬱。。。

 

 

そして、行くまでの交通渋滞や満員に溢れかえる新幹線や飛行機などの公共機関にうんざりしてしまう。。。

 

 

反対にそんな心労はないけれど、長期の休みになって一人で過ごす時間に寂しさや虚しさが増したりする。。。

 

 

色々なお盆があるとは思いますが、今あなたはどんなお盆を迎えているでしょうか。

 

 

 

今日は、そんなお盆の時期に思うこと「お盆に思うこと 〜お盆に心が揺れるなら〜というタイトルでお届けします。

 

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お盆は亡くなった人達をお迎えし供養する期間と言われていますが、生きている方は色々な気持ちに揺り動かされるような、振り回されてしまうような、そんな期間でもあるかもしれませんね。

 

 

 

日常を過ごしている時よりも、センチメンタルになりやすい時でもありますよね。

 

 

 

わたしもお盆センチメンタルになる一人ですし、数年前までむしろお盆の時期はセンチメンタルを超えて、死にたくなる気持ちを抑えるのに必死な期間でもありました。

 

 

 

わたしにとってお盆とは、どうしても息子を思い出さずにはいられない時期だからです。

 

 

 

妊娠7か月で失った息子が帰ってきてくれると思えば嬉しくもあるのですが、結局はどうせまた離れなければならないという現実を受け入れることができなかったんです。

 

 

わたしにとってお盆は、

 

 

 

大切な存在を失った。。。

 

 

 

その現実を噛みしめなければいけない時期でもありました。

 

 

 

 

大切なものを失ったと認めるほど、つらく苦しいものはないかもしれません。

 

 

 

 

愛する人を失う、これほど心が破壊されることはないのではないでしょうか。

 

 

 

 

そして悲しいことに、人は失ってからその存在の大きさを知ることがほとんどです。

 

 

 

 

愛する人に、もう

「ありがとう」も

「さようなら」も

「ごめんね」も言えない。

 

 

二度とそれは叶わない。

 

 

 

それは絶望という言葉でさえ足りないような、明けることのない暗闇です。

 

 

 

その暗闇に迷うように、お盆は自分の心が大きく揺れてしまう。。。。。

 

 

 

お盆に揺れる心、大切な人を失った痛みと、どう向き合えばいいか分からない。

 

 

 

今回のブログはわたしの体験談をもとに、そんなお盆の心の揺れとの向き合い方を書いていきます。

 

 

 

 

 

 息子のことを書くと、とても愛情深い母親が息子を思って綴っているように思うかもしれませんが、今の想いと違い、妊娠期間中のわたしはそんな母親ではありませんでした。

 

 

 

自分のことしか考えていなかったんですよ、わたし。

 

 

 

妊娠が分かった時は、いつお別れになるか分からないから安定期までは周りには知らせないでおこうと思っていたほど子どもを意識できませんでしたし、

 

自分がやりたいことを制限されるのがイヤで自分の行動の我慢なんてしませんでしたし、

 

出産後に子どもと過ごす時間を想像さえしませんでしたし、

 

子育てに何のビジョンもありませんでしたし、

 

ただ、結婚したら子どもは必要なんだろうな、くらいにしか思わない自分のことしか考えていませんでした。

 

お腹の子どもに全く気持ちが向かない母親でした。

 

愛情はあっても、お腹の子にそれをどう伝えればいいのかも分かりませんでした。

 

 

 

 

お腹の中に居る息子と、気持ちが通じ合った思い出なんて数えるくらいもあるかどうかです。

 

 

 

なので自分のことを薄情な母親だと思っていたし、お腹の中で息子が亡くなったことを知った時に、わたしは息子に愛想をつかされたと思いました。

 

 

 

もう息子は、こんな母親の元になんていられない、生まれてくるのがイヤになったんだろうと思いました。

 

 

 

 

やっと子どもという自分の味方が来てくれたと思ったら、その味方に見捨てられてしまった。。。

 

 

 

そんな思いがわたしを包みました。

 

 

こんなわたしだったから。。。

わたしのせいで。。。

わたしが悪いんだ。。。

 

 

 

日々押し寄せてくるこの自己否定の思いから逃れたくて、

 

息子がわたしに伝えたかったことは何だろうか、

何か前向きになれるようなことはないだろうか、

どうしてこんなことが起こったのかと、

 

意味や答えを求め続けました。

 

 

 

 

 わたしは自己否定から逃れたくて、でも押しつぶされそうで、何かしがみつくものが必要でした。

 

 

 

 

見つけたものが、「息子からの愛を見つけてこれからの自分に生かすこと」だったんですね。

 

 

 

 

 

そして、幸いなことにその愛は至る所から見つかります。

 

 

 

その愛に触れながら、自分が本当はどれだけ息子を愛していたのかにも気がついていくことができました。

 

 

 

どうしてもっと息子と一緒の時間を楽しめなかったのか、心底から後悔しました。

 

 

 

 

リトリーブサイコセラピーに出会い、その後悔を受け止め、どん底で生きる気力を失っていた自分から、人のあたたかさを感じるまでに回復することもできました。

 

 

 

自分の不安が、未来を見ないようにしていたことにも気がつきました。

 

 

 

 

でもそれで全てが解決かというとそうではなく、自分の感情を感じ始めたことで逃れたかったところへと戻ることにもなるんです。

 

 

 

どこに戻るのか。。。

 

 

 

それは。。。

 

 

 

息子への愛情を感じると共に、大きな自分への否定戻っていきます。

 

 

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もちろん、そんな地獄のような場所に戻る自分を認めることなんてできません。

 

 

 

もう二度とあんな思いはしたくない!

 

 

 

自分に生きるチカラがないと信じていると、またあの時に戻ってしまうのが怖くて必死に過去から逃れようとします。

乗り越えるチカラなんて自分にはないと思い、もう二度と今の場所に帰ってこれないと必死にあの日あの時に戻ることを避けようとするんです。

 

 

 

あの時に戻ってしまったら、もう終わりだ!!!

そんな気持ちで自己否定から逃げ出そうとするんです。

 

 

 

幸い、絶望を乗り越え人生に光をもう一度見つけ直し、笑顔を取り戻していくことは、世の中で理想とされているし、周りが求めることでもあります。

 

 

 

なので自己否定から逃れるために自分の感情を押し殺す痛みを、頑張って悲しみを乗り越えようとしている痛みだと勘違いしてしまいます

 

 

 

しかし結果として、自然に笑顔を取り戻していくことと、笑顔を自分で作り続けることとは違います。

 

 

 

無理に顔で笑顔を作っていても、自分を否定していたら心は笑顔になることはありません。

 

 

 

自分を否定していたら、悲しみも寂しさも癒えないんです。

 

 

 

それは大きな痛みになります。

 

 

 

この痛みは、感じて受け止めることでしか和らぎません。

 

 

 

 

その傷の痛みや苦しさやつらさを感じるためには自分への信頼が必要です。

 

 

 

子どもの時に、失った悲しさや寂しさを表現することが許されていなかったら、感情を否定し、自分を否定することでその痛みを乗り越えようとします。

 

 

 

 

自分を否定することで、自分を守ってきたんですね。

 

 

 

大切なものを失った時に感じた痛みは、小さな頃から感じ続けてきた「愛する親に感じた見捨てられた痛み」でもあります。

 

 

 

 

見捨てられるような自分に、自分の価値を感じる事なんてできないから否定します。

 

 

 

小さな頃は、それが安全だった。

 

 

 

でも、大人になった今、その方法を続けなくてもいいんです。

 

 

自分を信頼して、傷や傷跡を誰かと分かち合ってもいいんですよ。

 

 

 

悲しみや寂しさを安全に表現して、それを受け入れてもらう体験をすることは自分への信頼を取り戻していくことに繋がっていくんです。

 

 

 

それほど、自分の感情を確認してこなかったし、悲しんだり、寂しがっている自分を受け入れてもらってきていないんです。

 

 

 

だからこそ、大人の自分が自分を受け入れてあげること。

 

 

 

悲しみや寂しさを、受け入れるチカラが自分にはあると信じていきたいかどうかを決めること。

 

 

 

 

もうお分かりでしょうが、わたしが悲しんで寂しがっておけば。。。いいこともあったんです。。。

 

 

 

息子への想いということで悲しみや寂しさを持っておけば、自分を信じなくていいし、自己否定を感じなくてよかったんです。

 

 

 

悲しみ、寂しさを持っていれば、自分という存在が許される

 

 

 

 

わたしは、自己否定を感じないでいいように自分を否定していたんです。

 

 

 

 

でもこの自己否定は元々わたしが隠し持っていたもので、息子が亡くなったから自己否定が生まれたわけではないんです。

 

 

 

 

ありのままの自分を確認するということは、過去から今までの自分の感情の全てを確認することでもあります。

 

 

 

感情を確認し、受け止めていくことで自分の価値を見つけていくことができます。

 

 

 

わたしたちは自分で自分のことを好きになる価値がある、とわたしは思います。

 

 

 

大切な存在を失った、その悲しみや寂しさは誰かが埋めてくれるものではありません。

 

 

 

自分への信頼を取り戻していくことが、愛する人を失った傷の回復に繋がっていくとわたしは思います。

 

 

 

自分への信頼を少しずつ回復して、全ての出来事を息子と結びつけないことを決めた今でも、悲しみに暮れる日も、寂しさに潰されそうな日も、息子に会いたくてたまらない日も、自分をダメだと思う日も、わたしにはまだまだあります。

 

 

 

愛する子どもを抱っこして小さな棺に入れ、手を合わせて見送らなければならなかった痛みは、これからだってわたしを何度も包むと思います。

 

 

 

でもそれと同じくらい、わくわくを感じる日も、生きるチカラが湧く日も、笑う日も、感動する日も増えたのも事実です。

 

 

 

砕けそうな自分の痛みを、分かち合いたいと思える人も増えました。

 

 

 

起こった出来事を丸ごと受け入れたいと思うようにもなりました。

 

 

 

変わらず息子を愛しているし、共に生きている感覚を信じています。

 

 

 

そうやって充分に悲しんで寂しがって傷は癒えたと思っても、跡として残ることもあるんです。

 

 

 

その傷跡が疼く時も、もちろんあります。

 

 

 

だから、自分の傷や傷跡を隠さなくていいんです。

 

 

 

大切なのは心が揺れないことではなくて、揺れを感じて認められることではないでしょうか。

 

 

 

自分の心が揺れた時こそ、自分の感情に目を向ける時なのだと思うんです。

 

 

 

気持ちが揺れやすいこのお盆の時期だからこそ、自分が自分に目を向ける、そのいい機会になるのではないかと思いました。

 

 

 

静かな時間に、自分の自己否定を抑えきれなくなったら。。。

 

 

 

そして愛する人を想い、涙を流しながらも自分の心の傷に気がついたなら。。。

 

 

 

自分への信頼を取り戻し、自分を回復していくことをわたしはオススメします。

 

 

 

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<お知らせ>

 

 

 

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わたしはこのリトリーブサイコセラピーで命を救われました。

 

 

 

それは、自分の喪失からの再生でした。

 

 

 

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taiyotoniji.hatenablog.com

 

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