生きるのがつらい毎日に、心が安心して帰る場所を   

福岡 心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー) 前田 ひとみ

愛が欲しい! でもこれじゃない!!

 

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。

 

 

 

いきなりではありますが、今日はとあるポテチガールのお話。。。

 

 

「愛がほしい! でもこれじゃない!!」というお話です。

 

 

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ポテチガールは、ポテチが大好きで毎日ポテチを欲しがります。

 


お父さんは、ポテチガールにコンソメ味のポテチをいつも買ってきてくれます。



お母さんは、九州しょうゆ味のポテチを毎日買ってきてくれます。





ポテチガールは、それを黙ってもらっていました。

 



実は、あんまり嬉しくなかったんです。

 


だって、ポテチガールは本当はしお味のポテチが欲しかったから。



残念そうな顔をしたり、たまに食べなかったり、残ったポテチをあえて見える場所に置いたりもしてみます。



「ポテチガールは、コンソメや九州しょうゆのポテチは、あんまり好きじゃないのね。」そう気がついてもらいたかったんです。



でも、それからも毎日もらうポテチはコンソメ味と九州しょうゆ味でした。



「しお味が食べたい。。。
何ならわたしが1番好きなのは、2人が身体によくなさそうだから買ってくれない、アモーレではないけれど、ニンニクの風味がたまらないちょっと辛めなムーチョなポテチなのに!」

 




でも、ポテチガールのこの本当の気持ちをお父さんとお母さんに伝えると、

ガッカリさせたり、
怒られたり、
それならもうあげないと取り上げられたり、

しそうな気がして言えませんでした。

 



そして、いつかお父さんとお母さんが気がついてくれるだろうと期待していたんです。



「本当に自分のことが大切なら、愛があるなら、きっとわたしが好きな辛めのムーチョなポテチをいつか買ってきてくれるはず!」



でも期待も虚しく、そんな日が来ないまま大人になります。



月日は流れ、ポテチガールも大人になり、自分でポテチを買えるようになります。

 

 

 

周りの人から辛めのムーチョなポテチを貰えることも出てきます。

 

 

 

そんな時です!!!

 

 

 

欲しいポテチが、あんなに欲しかったポテチであるはずの辛めのムーチョが目の前に来ても、何だか食べたくないことに気がつきます。

 

 

 

もらったムーチョなポテチの短冊の形状を見ながら、

「あーぁ。短冊じゃなくて、あの丸い形状のポテチが欲しいのになぁ。」

 

「お母さんが買ってきてくれた辛めのムーチョなポテチが食べたいのに。。。」

 

なんて言いながら、悲しくなって苦しくなって泣いてしまいます。

 

 

「いらない!」と返してしまうことさえもあります。

 

 

 

あんなに欲しかったポテチなのに、嬉しくない!

やっぱりわたしが欲しいポテチは、このポテチじゃない!

 

 

そして。。。

「わたしは、欲しいポテチはもらえないんだ。。。」

 

「欲しいポテチがもらえないわたしは、お父さんとお母さんから愛されてないんだ。。。」

 

そう感じて絶望感に包まれていきます。

 

 

 

ポテチが欲しい!!!

でも、このポテチじゃない!!!

 

 

 

いつもこの思いを持ち続けてしまいます。

 

 

 

さて、ここまで読んでみていかがでしたか?

え?

何が言いたいのか分からない?

 

 

 

では、

コンソメ味を強さ、

九州しょうゆ味を身の回りのお世話、

辛めのムーチョを心の繋がり、

 

 

そして、

ポテチを愛情、に変換して読んでみてください。

 

 

すると。。。

そう。。。

 

 

愛が欲しい!!!

親からの愛情が欲しい!!!

目の前にある愛、これじゃない!!!

 

 

さぁ、これはポテチ。。。いや、愛情がもらえなかったことが問題なのでしょうか???

 

 

 

<本当の問題は何か?>

 

ツッコミどころ満載なポテチガールではありますが、この本当の問題は

自分は「不幸であれば生きていける」と信じ込んでいることです。

 

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不思議ですが、シアワセになりたくて愛情が欲しくてたまらないのに、その目の前の愛情を信じようとしないんです。

 

 

 

シアワセや愛情を感じると、何だか気持ち悪い。。。

 

 

 

自分には似合わないし相応しくない感じがする。

 

 

 

愛情を自分の望む形でもらえなかった、という満たされなかった思いから、愛情そのものを諦めてしまったり、ずっと欲しい愛情はこれじゃない!と叫び続けてしまうんです。

 

 

 

なので目の前に愛情があったとしても、

 

もらいたかった人からの愛情ではない!

そんなの愛情じゃない!

いつも自分はもらえない!

 

と、決して信じようとしません。

 

 

 

その目の前の愛情を受け取ってしまうと

 

今までの自分が報われない悲しさ

代わりの愛情で余計満たされない渇望感

負けてしまったような虚無感

 

そのような絶望さえ感じてしまう。

 

 

 

だったら愛情を受け取らないまま、頑張り続けた方がマシだと思い、

 

 

いつも自分を不幸な状況に置いておくんです。

 

 

不幸じゃないと生きられない、そう信じ込んで生きているんです。

 

 

<このままだとどうなるか?>

 

不幸でいないと生きていられないので、少しでもシアワセや安心を感じてしまうと自ら不幸を探しに行ってしまいます。

 

 

 

今起こっていないような過去の出来事すら引っ張り出してきて、自分は不幸で居続けようとしてしまいます。

 

 

 

人生と不幸がワンセット。

 

 

 

いつでもどこでも、愛がほしい、シアワセになりたい、そう叫びながら、自分の手でその芽を潰していくんです。

 

 

不幸であることに安心し、不幸でなければ不安になるので自ら不幸を探しに行くんです。

 

 

 

あなたが求めるのは、本当にそのような人生なのでしょうか???

 

 

 

<解決に向けて>

 

ずっと、自分の望む愛情がもらえなかった。

 

 

それってとてもつらいことなんです。

 

 

望むように愛されたい、その気持ちが悪い訳ではありません。

 

 

満たされていないその思いを、隠して誤魔化して、求めてもいないフリをするから苦しくなります。

 

 

欲しかったんですよ、辛めのムーチョなポテチ。

 

 

伝えたかったんです、これが欲しい!と。

 

 

その自分を受け入れてみる。

 

 

その時に景色は少し変わるかもしれません。

 

 

確かに欲しかったポテチではなかったけれど、お父さんとお母さんは、自分たちなりのポテチをくれていたことに気がつくかもしれません。

 

 

 

そうしたら、もらえてないと叫び続けた日々の中に、あるものがあったことに気がつくかもしれません。

 

 

 

そこに、ポテチがあったことに。

 

 

 

欲しい愛情ではなかったけれど、そこに愛は存在していたことに。

 

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